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2016年

ヒラリークリントンの発言

「確かなことはわかりませんが、私はすでに宇宙人は地球を訪れているのではないかと考えています」
日本ではほとんど報道されなかったが米大統領選出のための予備選挙が全米各地で始まる直前の2015.12.29日に民主党大統領最有力候補ヒラリークリントンがニューハンプシャー州でおこなった選挙キャンペーンでの発言ということである。情報によるとヒラリー氏は地元の地方紙「The Conway DAILY SUN」の事務所を訪れ、記者たちときわめて現実的な外交、経済政策についての姿勢を話した時のことだそう。
 
 一通りの質問が終わった後、ある記者から思わぬ質問が飛び出した。それはUFOに関する質問だった。質問したデイモンド・ステア記者は以前2008年にも、ニューヨーク州の上院議員だったヒラリー氏にUFOに関する質問をしている。この当時、ヒラリーは夫であり元米国大統領であるビル・クリントン氏共々、米国政府に対し秘密文書の全面公開を主張しており、その極秘文書の中には当然ながらUFOに関する文書の内容開示も含まれていたと思える。
 
 今回の質問は2014年のあるTVのトーク番組で、夫であるビル・クリントン元大統領が番組中でUFOについて尋ねられ
 「いつの日か宇宙人が地球にやってきたとしても驚かない。そしてその遭遇は米SF映画インデペンデンス・デイのような侵略戦争になるとは思えない」(ビル・クリントン)と発言したことについどう思うかと尋ねられたことに対する回答だったと言う。この記者の真意はどこあるのか推測するしかないのだが、まずヒラリー氏のブレーンであるジョン・ポデスタ氏と言う人物の存在があるらしい。

 調べてみるとポデスタ氏はヒラリーの夫であるビル・クリントン元大統領の首席補佐官を勤めた人物でオバマ政権でも上級顧問の職にあった。近頃、自主的に解任を申し出たらしい。その理由がなんとヒラリー氏の選挙活動に選任するためらしいのである。またポデスタ氏は「2014年の私の最大の失敗はUFOの資料をまたもや開示できなかったことだ」と発言した経緯があり、ここまで条件がそろえば、ヒラリー発言の奥底になにやら大きな理由がありそうだとかんぐられるというものだろう。(でもたいていウヤムヤで終わってしまうが?・・・)
 
 案の定、日本の週刊誌などは常識的な見方をすればヒラリー氏と同じ民主党の候補であり、きわめて現実的な政策で急追するB・サンダース氏の存在や共和党の有力候補でありUFOとは違う意味で現実離れした政策、たとえば不法移民対策として(米国とメキシコの国境沿いに壁を作る)というような発言を連発しているD・トランプ氏の存在を意識しているせいかも?と、相変わらずのひねくれコメントに終始している。
 
 米大統領のUFO・宇宙人に関連する発言と言うのはレーガン元大統領の国連演説などに見られるように今回が初めてのことではなく過去にも何度かあるが大統領選挙がらみでは初めてのことだ。大統領選挙とは直接関係がないが、トランプ氏の名前が出たので1つ追加しておきたい。大富豪であるトランプ氏が大統領選に出馬する気になったきっかけにオバマ大統領にある席でバカにされたからだと言う話がある。東京新聞の3月18日の記事によるとオバマ氏とトランプ氏は以前からさや当てが激しかったらしいのだが、それがある程度、収束しかかっていた2011年4月、オバマ氏がまたもやトランプ氏のことをこう言ってコケにしたらしいのである。「トランプ氏はこの次は、アポロ11号の月面着陸は捏造だったとか、UFOは実在するかもしれない」と。 これを聞いていたトランプ氏はオバマ氏をすさまじい形相でにらんでいたらしい。このことがトランプ氏が大統領選挙に出馬する直接のきっかけになったとは思えないが、トランプ氏がオバマ氏に並々ならぬ思いを抱くことになったろうということは充分、想像できる出来事だ。UFOもとんだとばっちりを受けたものだ。

ツングース大爆発

ツングース大爆発をご存知だろうか?今から108年前の1908年6月30日午前7時頃、北極圏に近いシベリアはツングース地方の針葉樹林帯(タイガ)でその大事件は起きた。このツングースの大爆発は、有史以来人類が体験した文字どうり、類を見ないような大爆発だった。それ以上にもしかすると広島・長崎以前に人類が体験した最初の”核爆発”であった可能性すらある大事件だった。

 その日、何百人もの農夫、猟師らが太陽のように輝く、まばゆいばかりに空を横切る飛行物体を目撃。その直後に地平線にその物体が消えたかと思うと、続いて今までに見たこともないような”キノコ型の雲”がモクモクと立ち上っていった。このときの爆発はすさまじいものだったようで、なんとタイガ上空にハリケーンが発生し、家の屋根が吹き飛び、窓は粉々に壊れた。このときの衝撃波はなんと地球を2週以上も駆け巡り、同じ旧ソ連国内の約1000キロ離れたイルクーツクやタシケントをはじめ、さらに遠く離れたイギリスのロンドンの気象観測所の気圧計もそれを察知したほどであった。

 そのロンドンやパリなどではその日から3日ぐらい、夜になっても照明器具を使わずに、新聞や本などが読めたというし、モスクワでも夜間に写真が撮れれたと言う。大まかに言って約2000万平方キロ(東京の面積ぐらい)の土地と1000万本の樹木がなぎ倒された。こんな大爆発だったのにもかかわらず最初に調査が派遣されたのは、事件が起きてからなんと13年もたった1921年のこと。今でこそモスクワから飛行機とヘリコプターを使って8時間程度で行けるらしいのだが、当時のツングースは文字どうり人跡未踏の土地であり交通手段と言えば、シベリア鉄道とそり程度しかなく、ここに行くのは相当の決意を要求されたのだ。

 この時、調査団の団長に選ばれたのが、ソ連気象学協会のレオニード・クーリク(37)であった。クーリクは体系的な科学の教育は受けていなかったようだが、独学でそれを補い、ツングースの大爆発に関しても独自の考えを持っていたようで、調査団が初めて派遣されたのと同じ1921年にそれに関して短い論文を発表している。その1921年の8月4日、クーリクはその最初の調査団をひきつれレニングラードを立った。

 約4000キロ以上の距離を10ヶ月以上の行程の末、車も壊れ、馬やロバなどの動物も相当数が倒れていた。残念ながらクーリクは一端、レニングラードへ引き返さざるを得なかった。ようやく爆発現場であるシベリアはツングース近くのメキルタ川の畔に着いたのはそれから7年後の1928年の4月、2回目の調査の時だった。そこで彼は驚くべきものを目にする。北の方角に広がる木々が、枝がなくなり梢だけになって1本残らず、同じ方向に見渡す限り横倒しになっている。クーリクが後で調べたところでは、地平線のかなた約20キロくらい先までが影響を受けているようだった。そこからさらに歩を進めていくと、状況から判断してほぼツングース爆発の中心部と思われる地点に到着した。クーリクはこの状況を見て、今回の爆発は巨大な隕石が落ちたに違いないと判断した。

クーリクはその後も数回、計4回のツングースの調査を行い、最後の4回目の調査では、空中撮影したにもかかわらず、隕石や彗星の墜落したような穴はおろか小さな破片すら発見することは出来なかった。ただ枝がなくなり、梢が燃えていた樹木から判断すると、この爆発は何らかの物体が地上に衝突したものではなく空中で爆発して、その結果、上空から高熱が降り注いだ可能性を示している。規模は違うが原爆が落ちて”核爆発”を起こした広島の原爆ドームの周辺の状況がツングースとよく似ている。

 この核爆発説は第2次世界大戦後に改めて再開された現地調査によってそれを示唆する新たな発見が幾つか見つかっている。幾つかの樹木を調べてみると、そのほとんどがツングース爆発の起こった1908年に当たる年輪のところで急激な放射能の増大を示していた。また本来、7、8メートル程度にしか成長しないはずのカラマツやカバノキなどの樹木が20メートル近くになっていたものがあった。これらの証拠はツングースで起きた爆発が、単なる運動エネルギーや化学爆発ではなく、核爆発による放射能による突然変異の可能性を示している。

このツングース大爆発に関しては、1976年10月11日に旧ソ連の国営タス通信が「1908年にシベリア上空で核爆発が起きていた。その規模は広島原爆の2000倍」とニュースを流している。日本でも毎日新聞が1976年10月13日付の夕刊でこのニュースを報道している。