飯塚秀樹オフィシャルサイト

UFOを現実的な問題として世に訴え続ける飯塚秀樹の情報発信局

E-mail:info@ufoizm.info

01月

ツングース大爆発

ツングース大爆発をご存知だろうか?今から108年前の1908年6月30日午前7時頃、北極圏に近いシベリアはツングース地方の針葉樹林帯(タイガ)でその大事件は起きた。このツングースの大爆発は、有史以来人類が体験した文字どうり、類を見ないような大爆発だった。それ以上にもしかすると広島・長崎以前に人類が体験した最初の”核爆発”であった可能性すらある大事件だった。

 その日、何百人もの農夫、猟師らが太陽のように輝く、まばゆいばかりに空を横切る飛行物体を目撃。その直後に地平線にその物体が消えたかと思うと、続いて今までに見たこともないような”キノコ型の雲”がモクモクと立ち上っていった。このときの爆発はすさまじいものだったようで、なんとタイガ上空にハリケーンが発生し、家の屋根が吹き飛び、窓は粉々に壊れた。このときの衝撃波はなんと地球を2週以上も駆け巡り、同じ旧ソ連国内の約1000キロ離れたイルクーツクやタシケントをはじめ、さらに遠く離れたイギリスのロンドンの気象観測所の気圧計もそれを察知したほどであった。

 そのロンドンやパリなどではその日から3日ぐらい、夜になっても照明器具を使わずに、新聞や本などが読めたというし、モスクワでも夜間に写真が撮れれたと言う。大まかに言って約2000万平方キロ(東京の面積ぐらい)の土地と1000万本の樹木がなぎ倒された。こんな大爆発だったのにもかかわらず最初に調査が派遣されたのは、事件が起きてからなんと13年もたった1921年のこと。今でこそモスクワから飛行機とヘリコプターを使って8時間程度で行けるらしいのだが、当時のツングースは文字どうり人跡未踏の土地であり交通手段と言えば、シベリア鉄道とそり程度しかなく、ここに行くのは相当の決意を要求されたのだ。

 この時、調査団の団長に選ばれたのが、ソ連気象学協会のレオニード・クーリク(37)であった。クーリクは体系的な科学の教育は受けていなかったようだが、独学でそれを補い、ツングースの大爆発に関しても独自の考えを持っていたようで、調査団が初めて派遣されたのと同じ1921年にそれに関して短い論文を発表している。その1921年の8月4日、クーリクはその最初の調査団をひきつれレニングラードを立った。

 約4000キロ以上の距離を10ヶ月以上の行程の末、車も壊れ、馬やロバなどの動物も相当数が倒れていた。残念ながらクーリクは一端、レニングラードへ引き返さざるを得なかった。ようやく爆発現場であるシベリアはツングース近くのメキルタ川の畔に着いたのはそれから7年後の1928年の4月、2回目の調査の時だった。そこで彼は驚くべきものを目にする。北の方角に広がる木々が、枝がなくなり梢だけになって1本残らず、同じ方向に見渡す限り横倒しになっている。クーリクが後で調べたところでは、地平線のかなた約20キロくらい先までが影響を受けているようだった。そこからさらに歩を進めていくと、状況から判断してほぼツングース爆発の中心部と思われる地点に到着した。クーリクはこの状況を見て、今回の爆発は巨大な隕石が落ちたに違いないと判断した。

クーリクはその後も数回、計4回のツングースの調査を行い、最後の4回目の調査では、空中撮影したにもかかわらず、隕石や彗星の墜落したような穴はおろか小さな破片すら発見することは出来なかった。ただ枝がなくなり、梢が燃えていた樹木から判断すると、この爆発は何らかの物体が地上に衝突したものではなく空中で爆発して、その結果、上空から高熱が降り注いだ可能性を示している。規模は違うが原爆が落ちて”核爆発”を起こした広島の原爆ドームの周辺の状況がツングースとよく似ている。

 この核爆発説は第2次世界大戦後に改めて再開された現地調査によってそれを示唆する新たな発見が幾つか見つかっている。幾つかの樹木を調べてみると、そのほとんどがツングース爆発の起こった1908年に当たる年輪のところで急激な放射能の増大を示していた。また本来、7、8メートル程度にしか成長しないはずのカラマツやカバノキなどの樹木が20メートル近くになっていたものがあった。これらの証拠はツングースで起きた爆発が、単なる運動エネルギーや化学爆発ではなく、核爆発による放射能による突然変異の可能性を示している。

このツングース大爆発に関しては、1976年10月11日に旧ソ連の国営タス通信が「1908年にシベリア上空で核爆発が起きていた。その規模は広島原爆の2000倍」とニュースを流している。日本でも毎日新聞が1976年10月13日付の夕刊でこのニュースを報道している。